当たり前と言われてしまえばそれまでの話。
寺社にも様々な歴史がある訳で。

山の名前、そして地域の名前にもなっている天台宗「照鏡山」八塔寺です。
元々、山岳宗教の聖地として崇めらていた地域は八頭霊と呼ばれており、そこから八塔寺に変わり、そのまま八塔寺山と八塔寺村へ変化していったそうです。
こちらの八塔寺と前回話題に挙げた高顕寺は同じお寺だったそうですが、天保3年(1832年)を期に十一面観音菩薩を祀る八塔寺と不動明王を祀る高顕寺に別れたとの事。

その後の経緯は分かりませんが、無住となって管理者不在の状態へ。
高顕寺の住職も「お隣なのでどうにかしてあげたい気持ちはあるけど、自分のお寺の事で手一杯」と嘆いている状況でした。

なお、こちらも住職さん情報ですが、照鏡山 八塔寺と言えばマップなどを見ても高顕寺横の廃寺となっていますが、八塔寺の本堂は山の上にあるこちらだそうです。

行者堂と呼ばれるこちらの前の崖には昔修験者たちが実際に使っていた鎖が今でも残っており、急な崖を鎖一本を頼りによじ登っていたと考えると昔の人々は凄いなと感嘆してしまいます。
こちらのお堂には本尊である観音様は居られないようですが、来たついで、もしくは折角なので行ってみるのも良いかと思います。

責任というものは、正直回避できるものなら回避してしまいたい、と思ってしまうのも人の常です。
ただ、そうは言って、普段責任なんてものを心の底から感じる瞬間というのもそこまで多くは無いのが人生という気がしてなりません。
だからこそ、いざその責任と向き合わなければならなくなった時、普段からどう思っているのかが試される、のかもしれないと思ったりもします。
後四カ月も経てば丸二年となる、北海道で起きた改造ジムニーから脱輪したタイヤが四歳の少女に衝突し今だに意識不明の状態が続いている事件。
その事件で道路運送車両法違反で逮捕・起訴された所有者と作業者の男二人に対して、札幌地裁の判決が四月に出ていたそうです。
起きた事件の被害から見て求刑が軽過ぎる云々に関しては、人ぞれぞれの価値観に依存する事なので、どうのとは言いませんが、違法改造か否かは別にしても、毎日タイヤの脱着、メンテナンスをさせて頂く側の人間としては正直ズンと圧し掛かるものを感じざるを得ない事件ではあります。
こういう話題になると毎度言っていますが、浅川商会作業させて頂いた車で脱輪をしたものは一件もありません。
しかし、それはあくまでも「現状」で尚且つ「浅川商会が把握している限り」であり、過去に脱輪やそうなりかけたものの何かしらの事情でこちらに連絡が入っていない場合や、ユーザー本人が浅川商会が原因だと思っていない場合など、こちらに一報が入っていないだけで実際には浅川商会の作業の後に脱輪した事案が100%無いとも言えない話です。
勿論、こちらとしてもそういった「もしも」が無いのが当たり前で実際にそんな事が無い事を祈るばかりですが、こればっかりは悪魔の証明となってしまいますのであったも無かったも立証しようがありません。
こちらとしては、現状を無かったものとして考え、今後もそういった事が起きないよう日夜努力していく以上の事もできないのが現実。
一言タイヤの脱着、と言っても作業には幾つかの工程が入るので、これからも一つ一つ確実に実施していきたいと思います。
それではよい一週間を。